2011年の春

都内の梅林が満開になった3月、アラジンとデイジーは毎朝のようにお散歩してはカフェに立ち寄っていました。
3月11日も、そんないつもと変わらない朝でした。そして、午後は少し早めにお散歩を済ませて、飼い主の仕事場で昼寝をしていた2頭でした。

あの揺れの間、2頭をベランダに出してみたり、周りに家具のない部屋に誘導したりしながら飼い主が考えたことは、自分は自営業に転職して家にいられたけれど、犬をおいて仕事に出ている人たちはどんなに心配だろうということでした。しかし、後になってこの大災害の全体が明らかになってくると、一緒に家にいたとしても、もしもこの犬たちを連れて自分が津波などに遭遇したら、自分にいったい何ができただろうかという無力感に襲われました。
その後の原発事故の恐怖も忘れられません。東京の水道水が汚染されてミネラルウォーターが市場から消え去った時、2頭に水道水を与えることは大変な罪悪感でした。毒を与えているような気分になったのを覚えています。しかし、人間の子どもたちなら優先的にミネラルウォーターも売ってもらえるのでしょうけれど、シニアな飼い主とシニアな犬たちに同情してくれる人もいるはずはなく、ともかく水道水は活性炭フィルターでろ過してから使うというほかはありませんでした。その後、ミネラルウォーターが世の中に出回り始めてからは、もう必要もないにもかかわらず、ペットボトルを買い込んでとても安心したことを覚えています。飼い主としては、これはかなりのトラウマになりました。2頭の活発な犬を抱えて東京都内の避難所にお世話になるなんて、とても無理そうだということもよく考えました。
そして、この地震の後、飼い主は地方への移住を考えて、とりあえず軽井沢や清里の周辺を探し回りました。

詳しい事情は省きますが、結局、ガイガーカウンターなどをもって歩いた結果として、小淵沢周辺の小さな山小屋を買い取ることになりました。
こうして、2011年春以降の2頭の生活は、それまでの10年間とは全然違うものになっていきました。
しかし、犬というものはこんな危機的な状況にあっても、空が青くて土の香りが気持ち良ければうれしくてはしゃぎまわるという性格をしています。
アラジン、デイジーの写真はただのノンキな犬たちのように見えて、この年がこんなに災難に満ちた年だったということは伝わってこないかもしれません。
2頭が写っている写真のカフェなどは、その後関東でのすべての店舗を撤収してしまったりもしたようですし、世の中は大きく変わりつつあったのですが。


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