2014年6月、アラジンが虹の橋へ

14歳を迎えて、アラジンはしだいにお散歩の際の歩き方が遅くなり、どこかがダルそうにしていることが多くなりました。ドッグランなどで走り回ることも、ほとんどなくなりました。
それでも、飼い主やデイジーがでかける場所にはかならず一緒に出掛けて、楽しそうにしているように見えました。
2014年の春も、4月、5月と八ケ岳へ出かけていますが、アラジンの八ケ岳行きは5月のゴールデンウィーク明けのときが最後になりました。山荘を閉めて帰るときに、アラジンがじっと家の中を見渡していたのは、なんとなく、もう来られないかもしれないと思ったのかもしれません。


5月11日に八ケ岳から東京に帰り、5月17日には東京で大きな公園に行ったり、はじめて入るドッグカフェへ行ったり。そこでお店の中を興味津々で眺めていました。


そのあと、20日にアラジンとデイジーは獣医さんでフィラリアのチェックをしてもらい、ついでに詳しい血液検査をしてもらうことになりました。この血液検査は、かかりつけの獣医さんでは毎年行っていましたが、その年は特に詳しい検査をしてくれる機関と提携したので、結果は1週間くらい待ってほしいといわれました。
ところが、22日の夕方の散歩の後、アラジンがご飯を食べなくなりました。あの食いしん坊のアラジンがご飯を食べないというのはおおごとになっているということは、素人の飼い主にもよくわかりました。しかも、どうやら水も飲みたくない様子です。
23日、獣医さんに行こうとしていると、先方から電話があって、血液検査の結果が大変だということで検査機関から連絡があった、すぐに連れてきてほしいということでした。行ってみると示されたのは、腎不全を示す尿素窒素(BUN) の値が200を超えているというとんでもない数字でした。
急性なのか、慢性化しているのに気付かなかったのか、なぜ毎年血液検査をしていたのにわからなかったのか、飼い主は混乱しました。
ここで、ひとまずアラジンは入院となりました。その入院は、2日で終わりました。「入院しても症状が改善することはない、あとは、お家で見てあげてください」という理由です。アラジンは、まだ元気でした。家に帰ればデイジーと2頭、庭に出てうれしそうにしていました。

しかし、ご飯を食べず水も飲まないという状態では、体力を保つことはできません。腎不全によって、毒素が体に回ってしまうのも止められません。突然やってきた、この運命的な急展開。アラジンの周りにいきなり一陣の風が吹き、すべてが吹き飛ばされてしまったかのようでした。もう後戻りはできません。
最初はまだまだ元気が残っていたアラジンが、日に日にやせ衰えていくのは見ていられませんでしたが、とにかく最後までみとってやるのが飼い主の責任という考えで、毎日獣医さんに通って皮下輸液の点滴をしてもらいました。デイジーも、点滴を受けているアラジンを心配そうに見つめていました。

そんな生活が、だいたい3週間くらい続いた6月12日の朝、獣医さんは休診日でしたが、いつもよりも1時間ほど遅く病院を開けて点滴をしてもらうという約束になっていました。ところが、アラジンはいつも獣医さんに行っていた時間を少し過ぎたところで力尽きてしまいました。デイジーを連れて短い散歩に出ていた飼い主が家に戻るのを待っていたかのようにして、アラジンは逝きました。

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