後から考えると貴重だった2010年

2010年という年は、あとからよくよく考えてみると、天真爛漫に犬連れ旅ができた最後の年だったのではないかと思います。
翌年は震災と原発事故が起こり、人間のほうは人生観がかわるほどのできごとでしたから。
しかし、2010年にはそんなことが起きるとも知らずに、相変わらず清里や軽井沢へ通い詰めていましたし、都内でもドッグカフェめぐりに精を出していました。
秋にアラジンは11歳、デイジーは8歳を迎えましたが、2頭とも元気いっぱいでドッグランを駆け回っていました。
軽井沢では、大きな台風の被害で宿泊先の変更を余儀なくされたこともありましたが、そのおかげで良い犬連れ宿に巡り合うことができたりもしました。

アラジン、シニア期に入る

寝たきりで動きの少なかったゴールデンレトリバーの後で、活発過ぎるほど活発なイングリッシュコッカースパニエルを迎えて、飼い主は犬たちとともに若返ったような気持ちになっていました。犬たちの動きがあまりにもすばやいので、飼い主としても体を鍛えないとついていけないという事情もあり、そのためにスポーツクラブにも通ったほどです。毎日のお散歩も、体力の維持には役立ちました。
しかし、そんな活気にあふれた楽しい日々も、いつまでも続くわけではありません。2009年はアラジンが10歳を迎える年で、飼い主は先代犬が寝たきりになった時期のことを意識するようになりました。アラジンそのものはとても元気でしたし、デイジーとともに軽井沢へ、清里へ、そして都内の公園やドッグランへと活発に出向いていました。けれども、将来に何の曇りもなかった若い時代とは違って、飼い主の頭の中にはだんだんと、アラジンが年をとってしまった、また、いつかはお別れの時がきてしまうという不安が渦巻くようになりました。
それとともに、行く先々で撮る写真や動画の数も増えていき、すべての瞬間を残しておきたいという思いに駆られるようになっていきました。
いつものように軽井沢から清里へ向かう途中で立ち寄ったコンビニ、そんなありきたりな場所でさえも、目に焼き付けておきたいと思ったほどです。

清里へ

先代ゴールデンレトリバーの時代に、行こうと思っていたけれどもかなわなかった場所の一つが清里でした。
ぜひ一度宿泊してみたかったコテージなどへアラジン、デイジーを連れて出かけることができたことで、飼い主は「若さを取り戻す」ような感覚を味わいました。

そんなわけで、2006年ごろから長い夏休みなどには軽井沢から清里を回って東京へ帰るといったコースが定番となりました。

軽井沢へ

先代犬のゴールデンレトリバーのころ、飼い主の両親は軽井沢に小さな家を持っていて、そこへよく犬を連れて行っていました。
父が病気になって、その山の家は手放してしまったのですが、アラジン、デイジーの時代にはペットを連れていけるホテルや貸別荘といった施設も出現し、飼い主は懐かしい軽井沢へと2頭をよく連れて通いました。
ことに、旧軽井沢ロータリー近くのホテル「フォロン」は、夜風に吹かれ川の水音を聞きながら、犬とティールームでゆったりできるということで、大変気にいっていました。

もう、営業形態が変わってしまいましたが、国道沿いにあった犬OKのコンドミニアムには、大小2つのドッグランがありました。ある年そのドッグランの周りを囲う塀に穴があって、デイジーがそこから外に出てしまい、トラックなどが走っている国道のほうへとトコトコ進んでいきそうになって真っ青になってからは、そこには泊まっていないのですけれど。

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南軽井沢のドッグデプトも

車道から奥に入った別荘地の道も

大賀記念館のある池の周りも

北軽井沢にある、スキー場がまるごとドッグランになっていたスノーパークなども、思い出深い場所です。
広大な野原を走り回る2頭の姿が、何年たっても鮮明に思い出されます。
犬を抱えてリフトで山頂まで上るという冒険もしました。ただ、リフトが非常に高所を通過した上に、犬がもそもそ動いたのは大変な恐怖でした。
なお、ここのドッグランはその後やや縮小されてしまったようです。

何度か借りた貸別荘のテラスで上機嫌な2頭。

佐久インター近くのサービスエリアでのエスカレーターでも上機嫌な2頭。

お散歩

自宅の近くに大きな都立公園があったので、アラジン、デイジーはかなりの頻度でそこへ通っていました。

都内数か所の公園にドッグランが作られるようにもなりました。
周辺には犬の入れるカフェなどもあり、土日ともなれば公園で知り合った犬や、その飼い主さんたちとカフェでお茶したりしたものです。
あのときに集まっていた人や犬たちは、最近どうしているのでしょうか。

2004年、浜名湖への旅

アラジン、デイジーとの旅で、もしかしたら一番遠くに行ったかもしれないのが、2004年10月の浜名湖への旅でした。
浜名湖には、とても有名なペット連れ向けペンション「クッチェッタ」があります。そこの噂は先代ゴールデンレトリバーの頃から聞いていたのですが、なにしろこの子は9歳のころから14歳で他界するまで半身不随の寝たきり生活だったため、熱海の親の家には何としてでも連れて行ってましたが、気軽に旅行に出るというわけにはいきませんでした。
そのため、ぜひ行ってみたいと思いながらもなかなか機会がなかったという場所はたくさんありました。ペンション・クッチェッタもそのひとつです。
出かけてみると、浜名湖に面したロケーションといい、犬連れの旅行客の気持ちを考え抜いたホスピタリティといい、ほんとうに行ってよかったと思える場所でした。先代のゴールデンレトリバーも、連れてきてあげられたらどんなによかったでしょうか。
ただ、一つだけ肝を冷やしたできごとがあります。それは、ペンションに到着してすぐのこと。飼い主が車にものを取りに行って戻り、ペンションの居室のドアを何気なく開けたとたんに、旅行で興奮していたアラジンとデイジーが飛び出してしまったのでした。2頭はまたたくまに居室から1階への階段を走り降りてじゃれあい、目の前は県道で車がバンバン走っている。そのときの恐怖は今でも忘れられません。なんとか2頭を捕獲してことなきを得、その後はアラジンとデイジーも湖畔の散歩を十二分に楽しみましたが、旅先での気のゆるみというのは本当に怖いと思い知らされた事件でした。

イングリッシュコッカースパニエル友達との集会

同じ犬種のワンコたちとその飼い主が集まって過ごすのは楽しいものです。
アラジンとデイジーもイングリッシュコッカースパニエルの愛好会や、お友達同士での旅行にかなり参加しました。
あるとき、そんな集会で犬と飼い主がペアを組んでリレー競争をするという遊びがあったのですが。
デイジーが周りのチームのワンコたちが走っているのをみて前のランナーから早くバトンを受け取りたくなったのか、非常に興奮して跳ね回っていたことを、飼い主はよく思い出します。なんだか小さな子供が「私も走るんだ! 早く、早く」とでも言っているかのように見えて、この子はよくしつけをすればとても良く反応する性能の良い犬なのではないか、という気がしました。

熱海でのアラジン、デイジー

飼い主の両親が住んでいた熱海のマンションは、幸いペット可だったので、アラジンとデイジーは少なくとも月に一度はそこを訪問しました。そして、熱海の街や海岸を隅々までお散歩し、人のいない小さな入り江なども探検したり。
ときには、湯河原や熱川にあったドッグランにも遠征して、すっかり熱海になじんでいました。

ただ、飼い主の父はパーキンソン病でしたし、母はその父の介護に追われてだんだん気持ちの余裕を失っていきました。
年齢からくる注意力の低下などもあり、犬たちには有害な人間の薬がリビングの低いテーブルに置いてあったり、ベランダにガーデニングの肥料などが何気なくむきだしておかれていたりして、誤飲や誤食など気を付けてはいてもヒヤッとすることもよくありました。

熱海に通う日々は2007年まで続きましたが、飼い主の父がこの世を去って、母が東京に戻ってくることになってからはすっかり足が遠のいてしまいました。
それでも、こんなアラジンとデイジーも人の心の支えになっていたんだと思えるようなエピソードもありました。それは、父の葬儀のときに母に聞いた話ですが、母が自室で泣いているとアラジンとデイジーがやってきて涙をペロッとなめてくれたそうで、それがとてもありがたかったということです。犬の力って不思議なものです。

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2003年晩秋の旅

さて、話を2003年に戻します。我が家にやってきて、だんだんと生活に慣れてきたデイジーは、車酔いしながらも家族とともにときどき旅行に出かけていました。中でも飼い主の記憶に深く刻まれているのが、11月にでかけた千葉への旅行でした。
このときは、たしかイングリッシュコッカースパニエルの愛好会が開催された時で、それに参加するため、千葉県内のペンションに前泊したのでした。
とても広いドッグランがある、ペット連れ専用をうたったペンションでした。
旅行中にした食事とか、ほかのことはほとんど覚えていない飼い主ですが、とにかくその広いドッグランを、夜中にアラジンとデイジーが目にも止まらないほどのスピードで、いつまでも、いつまでも駆け回っていたことが記憶に焼き付いて離れません。デイジーが逝ってしまってから、そのときの写真が居間に飾ってあるのをみて、Y.S.夫妻のどちらからともなく、あのときは、すごい勢いでいつまでも走り回っていたね、という話がでたほどです。
アラジン4歳、デイジー1歳の秋でした。

デイジーの夜中の奇行

デイジーは、また、夜中の3時から4時くらいの時間によく起きて、猛然と外に出たがることがよくありました。
飼い主はねぼけながらも、トイレのしつけを間違えた報いかと思いながら庭に連れ出したものです。
しかし、ときには庭に出たころにはなぜ外に出たがったのかをデイジー自身も忘れてしまって、そのまま門から道に出て、数分間歩いてもどってきたりすることもありました。
この行動は謎のままでしたが、2歳、3歳と年齢を重ねるにつれて次第に収まっていき、成犬となってからは夜中に起こされることはほとんどありませんでした。
が、2011年3月11日の早朝は、突然デイジーが外に出たがってドアをガタガタとゆらしました。その様子があまりに異常だったのでよく覚えています。それで、大震災が起きたときには、デイジーが夜中に外に出たがるのは何か胸騒ぎがしたからではないかと考えたりもしました。

また、この行動はデイジーが年を取っておばあちゃんになったころから復活したように思います。14歳から15歳となったデイジーは、再び夜中に起きて外に出たがるようになりました。少し認知症が出ているのだろうか、と思いましたが、どうだったのでしょう。デイジーが亡くなった2月28日も、夜通しむっくり起き上がっては外に出たがる行動を繰り返していました。疲れて横になっては、立ち上がりたくなって吠えて飼い主を起こし、しばらく抱きかかえられながらたたずんで、また寝てしまう。そんなことの繰り返しでした。朝も7時ころになって、やっとデイジーが落ち着いて寝てくれたので、飼い主もウトウトと仮眠したのですが、8時に起きたときにはデイジーは息をしていませんでした。