恐怖のデイジー

出会ったそのときにペットシーツで用を足したデイジーですが、その後、ついに一度もペットシーツでトイレができたことはありませんでした。
なぜか、ペットシーツの横にするとか、ペットシーツではないマット類の上でするとか、もう決めてしまったようでした。
飼い主も、留守中にお願いしていたペットシッターさんも、これはお手上げでした。そして、デイジーのトイレ、必然的にアラジンのトイレも飼い主宅のお庭になりました。後で思うと、みんなで外に出られて、そこで号令とともに用を足せばほめてもらえるということは、犬にとってとても楽しい時間だったのかもしれません。
また、デイジーは車酔いのひどい子犬でした。飼い主はアラジンとデイジーを連れて千葉のブリーダーさん宅へ遊びに行ったり、イングリッシュコッカースパニエルのグループの集会に出かけたり、熱海に住んでいた両親宅へ行ったりと非常によく出かけていたのですが、デイジーの車酔いは大変な恐怖でした。ケージに入れていたのでは、パニックになってしまうこともあって、結局2頭とともに飼い主の一方が車の後部座席に乗るのですが、気持ち悪くなったデイジーを落ち着かせることは難しく、どこかの公園などで降ろそうとしてもたいていは間に合わず、飼い主はよく洋服を汚されました。

しかし、この車酔いはあるときピッタリととまりました。それは、飼い主が古くなった車を新車に買い替えたときでした。いわゆる「足回り」が向上したためかもしれませんが、、、
そのおかげで飼い主は後部座席から解放してもらうことができましたし、アラジン、デイジーとの旅行の回数も増えていきました。

ハイパー・デイジー

ショップから迎えたデイジーは、売れ残りかけていたかわいそうな犬などというものではなく、とんでもなくハイテンションでバイタリティにあふれ、すこしずる賢い幼い女の子でした。
アラジンは、最初は突然現れた子犬をかわいがって、一緒に遊んだり犬としてのおきてを教えてくれたりしていたのですが、少し時間がたったころ、どうやら胃に来てしまったようです。目で「この子、いつまでうちにいるの?」と訴えていたかと思うと、吐いてお医者さんへ連れて行かなければならなくなる事態にもなりました。

それでも、二人で犬団子のようになってじゃれあったり、いっしょにドッグカフェなどにもでかけたりと、次第に仲の良い兄妹といった関係を築いてくれました。そういえば、申し遅れましたがアラジンはブリーダーさんから里子にいただいたときから去勢が第一条件となっていましたし、デイジーもわかやにきてからまもなく、生後半年を過ぎたころに避妊したので、二人はほんとにクリーンな間柄でしたし、飼い主には犬を繁殖させるという意図はまったくなかったことを改めて書き添えておきます。

デイジーを迎える

なにかと不穏な噂のペットショップで売れ残っていたデイジーですが、ともかく会ってみようという行動を起こしたのは、いったいなぜだったのか、もうよく覚えていなかったりします。早くいかないと処分されてしまうかもしれないという犬に同情を感じ、少し正義感のようなものもあったかもしれません。飼い主はこれまでペットショップという場所で犬を入手したことはありませんでしたし、お金を払って命を「買う」ということには少し抵抗がありましたが、アラジンとの生活も順調な中、犬を飼うということに対してあまり深い考えがなくなっていた時期だったのかもしれません。
行っていろいろ話を聞いてみると、店長さんはこの子がもう少し売れずに残っていたら、自分が飼おうと思っているんだと言いました。この言葉はいかにも怪しく思われ、飼い主の気持ちはだんだんとこの子を引き取らないでどうする、という方向に傾いていきました。デイジーはそんなこちらの気持ちを知ってかどうかわかりませんが、飼い主夫妻には全然こびずに勝手な行動ばかりして店舗内を走り回り、最後にペットシーツに用を足して寝てしまいました。このこびない行動と、ペットシーツに用を足すというしつけができているということが決め手となって (ところが、恐るべきことですが、この後亡くなるまでデイジーはペットシーツで用を足すという行動がどうしてもできませんでした。出会いの日にそれができたのは、よほど飼い主宅にやってきたかったのではないでしょうか)、飼い主はショップの言い値でデイジーを引き取ることとなりました。売れ残りだからと言って、値引きするといった対応はまったくなかったと記憶していますし、こちらもそれは求めませんでした。
こうして、2003年2月21日、生後5か月を迎えようとしていたデイジーが我が家にやってきました。連れてくる車の中では、どうやら初めてのケージでの移動にパニックしたらしく、たいへんな下痢に失禁、そして吐くという騒ぎとなりました。
このデイジーの粗相の後始末は、結局彼女が年をとって最後の時を迎えるまで、飼い主の人生についてまわったということがいえます。

2003年、デイジーとの出会い


こうして、年配の飼い主夫婦の「ひとりむすこ」として王子様な生活を送っていたアラジンですが、夜ごとのワンコ集会の中で飼い主はある情報を聞きつけました。
それは、公園からもそれほど離れていない、とあるペットショップに「売れ残り」のイングリッシュコッカースパニエルがいるという噂でした。そこのショップでは、6か月ほど経過した犬や猫はいつのまにか消えてしまう、処分されているのではないか、という不穏な噂もありました。しかも、そのイングリッシュコッカースパニエルは、そろそろ5か月くらいはそのショップで「売れ残って」いるということです。
心配になったY.S.夫妻は、2003年の2月のある日、そのショップへ偵察に行ってしまいました。
すると、そこで現れたのがこんなイングリッシュコッカースパニエルの女の子だったのです。

2002年、公園での夜ごとの集会、飼い主の転職

2002年、飼い主は仕事帰りに食事を終えると、公園にアラジンを連れて毎晩のようにでかけていました。
そこで、毎晩のように犬連れの飼い主さんたちの集会が行われていたからです。
同じ犬種の飼い主さん同士仲良くなって、別の公園のドッグランに遊びに行ったりもしていました。

さらには、アラジンと触れ合う時間をもっと増やしたいと考えた飼い主は、結構思い切った決断をします。
それは、会社を退職して自宅で翻訳業を始めるという決断でした。先代の犬が自宅で寝たきり生活をしている間、会社勤めでなかなか思うように面倒を見てあげられず、結局ペットシッターさん任せにしてしまったという反省もあったからかもしれません。
もちろん、自宅であろうとなんだろうとお仕事中はそんなに犬のことをかまっていられるわけではないですが、デスクでPCに向かっているときに足元で寝息を立てているアラジン、という環境に飼い主はとても満足していました。
こうして、飼い主の生活は完全に犬中心に変わっていきました。

若いアラジンとのピカピカ新生活時代

飼い主が先代の寝たきりワンコを介護していた数年間、世の中にはドッグカフェやおしゃれなドッググッズショップなどがたくさん登場していたようです。
アラジンを迎え入れたY.S.夫妻も、近くの公園の周りに出現した、こうしたおしゃれなお店をめぐることができるようになり、休日の楽しみとなりました。
アラジンのバースデーには犬用のバースデーケーキなどを買ったりして、人間は全然おしゃれではなかったけれど、犬にはかなりおしゃれをさせました。

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レインコートなども、ワンコ用にずいぶん新調しました。

先代犬の時代

先代のゴールデンレトリバーが元気だったころ、東京でも旅先などでも世の中のカフェなどで犬を連れて入れるところはありませんでした。
ワンコはいつも外か車で待ってたものです。
さらに、このゴールデンレトリバーは10歳を前にしてお散歩中に突然倒れて、そのまま寝たきり生活を送ることになってしまい、14歳で旅立っていくまで、ずっと家の中で過ごしていました。寝たきり生活にもそれなりに慣れて、熱海と東京の往復にも付き合ってくれました。それでも、体重30Kg以上もある、自分では動けない大型犬を運ぶのは大変でしたし、犬との生活を「楽しむ」というのとはちょっと違った暮らしになっていたと思います。
この頃の生活については、当時、老犬介護の工夫などをホームページで公開していたことなどもあって、雑誌などに取材されたりしたこともありました。
今はもう、老犬介護グッズなどもずいぶん普及していますが、当時はとても苦労したこともあって、そうした話を公開したのがその後のワンコたちのために少し役に立ったのかもしれないな、と飼い主としては自負したりしています。

熱海のアラジン

だんだん、ファミリーの一員として溶け込んできたアラジン。

先代犬のときには存在しなかった、ドッグカフェなどにも出かけて東京ライフを満喫するようになりました。

さらに、妻の両親が熱海で隠居生活をしていたので、アラジンは月に1回はそちらへ出かけていました。
海岸を散歩したり、ときには植物園などにも出かけてゆっくりと過ごしたものです。

アラジンとの旅行

アラジンが生活になじんでくれるとともに、飼い主は彼を連れてさまざまな場所に旅行するようになりました。
千葉のブリーダーさんが開催してくださったイングリッシュコッカースパニエルの集会に参加したことも、
各地のドッグランやペット可ペンションを調べて出かけたことも、非常によい思い出となっています。

これは、成田空港近くの外資系ホテルに一泊した時のアラジンです。ここは、ケージに入れていれば館内を動物連れで移動することもできました。

これは、お友達のワンちゃんのお宅におじゃましたときのアラジンです。おもちゃを貸してもらってとても喜んでいました。

2001年、アラジンとの生活

2001年9月1日、千葉の広々としたブリーダーさん宅から里子にきたアラジン。
その直後には大きな台風が来たり、ニューヨークの同時多発テロ事件などが起きたり、人間の社会は大きな変化を迎えていました。
また、アラジンはまもなく2歳を迎えるという年齢になるまで自然の中でかなり気ままに育っていたようです。東京都内で多くの人間や犬と出会う環境では、少しビビりな性格がでていたことや、突然手が付けられないほど走り回ってしまうようなことも、ときにはありました。
公園で、ちょっと油断したすきにいきなりリードをひきずったまま一人で歩きだし、なかなか追いつけない速さで大きな都道に出ていきそうになり、肝を冷やしたこともありました。頭脳が詰まってお利口だった先代犬ゴールデンレトリバーと比べて、ちょっとこの子はビジュアル系だね、などと失礼なことを言う家族もいたりしました。
けれど、アラジンはそれなりに一生懸命飼い主との生活に溶け込んでくれていました。先住犬と仲良しだったウサギともすぐ仲良くなり、徐々に東京での暮らしに慣れてくれたのです。

これは、アラジンが好んだケージ。ワゴン車の荷台に置いたケージに狙いを定めて飛び込み、身体の向きを変えて上手にケージに収まるというようなことを軽々とやってのける身体能力の高さに驚きました。